最古の輸入住宅/日本における住宅建築の変遷などをご紹介
目次
「最古の輸入住宅」
「世界文化遺産」
「ヴォーリズ建築」
「明治村」歴史的建築物に触れる
最古の輸入住宅
輸入住宅の歴史やスタイル、日本における住宅建築の変遷などをご紹介します。歴史に触れ、変わることのない思想と人々の知恵による進化を知ることも、現在の家づくりの楽しみ方かもしれませんね。
最古の輸入住宅
1850年に開国した江戸幕府は、1858年に横浜・長崎・函館を開港。それに伴い、オランダ・イギリスなどの国からさまざまな人が来日し、「居留区」に住宅を建てました。1863年、長崎に建てられた「グラバー邸」は、現存するわが国最古の木造洋風住宅です。グラバー
トーマス・ブレーク・グラバーはスコットランド出身の武器商人で、アヘン戦争で大もうけをしたジャーディン・マセソン商会の長崎代理人としてグラバー商会を設立しました。当初は茶の輸出を主な業務としていましたが、その後、銃を大量に販売し倒幕を実現させた陰の功労者でもあるのです。
グラバー邸は「ベランダ・コロニアル・スタイル」といわれ、広いベランダが特徴の住宅。イギリス人がインドで暮らすとき、強い日差しを防ぐため軒を深くして広いベランダを作ったのがルーツです。
このスタイルは香港、上海でも見られ、その後長崎などに渡ってきたと考えられています。日本においても1897年ころまで各地に建てられましたが、イギリス人建築家A.Nハンセルの登場以降、このスタイルを設計する建築家が途絶えてしまったのです。
グラバー邸は、グラバーの書いた簡単な間取り図を基に、小山秀が請け負って建てたといわれています。和風小屋組みで、梁や束などの木材は民家の転用材を使用。日本の職人が、日本の材料を使い、極力洋風に作られた建物だといえるでしょう。
同じころ、薩摩藩最後の藩主島津忠義がイギリスから紡績機械を輸入して、日本初の洋式紡績所を設けました。その技術指導を受けるために招いたイギリス人技師ら7人の宿舎として1867年に建てられた技師館。
こちらもイギリスで設計され日本の尺寸の技術で建てられたベランダコロニアル様式の建物だったのです。
「資材またはパッケージで輸入し国内に建築する」という定義づけされた輸入住宅ではなく、「海外の設計思想とデザイン・工法による住宅を国内に建築する」という、本当の意味での輸入住宅が、この日本にはまだまだ残っているのです。
グラバー園の公式サイトはこちら世界文化遺産
日本最古の輸入住宅として長崎のグラバー邸と鹿児島の紡績工場技師館について、ご紹介しました。これらの建物は「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されています。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録されたことでも話題になったこの世界文化遺産。今回は九州を中心としたこれらの世界文化遺産をご紹介します。
明治日本の産業革命遺産
19世紀後半から20世紀初頭にかけ、日本が欧米からの技術を導入し、後の基幹産業となる製鉄・製鋼、造船、石炭産業など重工業分野が発展、産業国家となったプロセスと物語っている遺産群です。
岩手県から鹿児島県にまたがる8のエリアに点在する23の遺産。
1850年代から1910年までの期間を3つに分けて、日本の産業が発展した歴史をよりわかりやすく知ることができます。長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
江戸幕府がキリスト教を禁じた17世紀~19世紀。ひそかに信仰を守り続けた「潜伏キリシタン」が育んだ伝統を示す12の遺産群です。
その中の一つ大浦天主堂は、わが国最初期の洋風建築として国宝にも指定されています。
「信徒発見」という貴重な歴史の舞台でもある大浦天主堂は、ヴォールト天井や尖頭アーチ形の窓など本格的な洋風建築の建物。中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、約100年前のステンドグラスも飾られています。
ヴォーリズ建築
ヴォーリズ建築をご存知でしょうか?
ウィリアム・メレル・ヴォーリズはアメリカ生まれの建築家であり、キリスト教の伝道師でもありました。
1905年に英語教師として来日し、1908年から教会や学校、個人宅などを建築。「メンターム」で有名な、近江兄弟社の創立者の一人でもあります。
その作品は、山の上ホテルや六甲山荘、同志社大学啓明館・アーモスト館など幅広く、現在でも何カ所かでその素晴らしい建物を見ることができます。中でも、ヴォーリズが住み続けた滋賀県近江八幡市周辺には、数多くのアメリカンスタイル(下見板コロニアル)の建物が残っています。今回はそんな、ヴォーリズ建築が残る近江八幡をご紹介します。ヴォーリズ建築を巡り、その歴史に触れてみるのはいかがでしょうか。
ヴォーリズ記念館
こちらの記念館は、実際にヴォーリズが暮らした木造二階建ての建物で、一部遺品や資料が公開されています。
池田町洋風住宅街
旧ウォーターハウス邸、旧吉田悦蔵邸、旧近江ミッション・ダブルハウスなど、アメリカンスタイルの建築様式が建ち並ぶレトロな住宅街です。
旧忠田邸
ヴォーリズ建築の旧忠田邸は現在、バウムクーヘンで有名な「たねや」グループのクラブハリエ日牟禮館(ひむれかん)カフェ、ヴォーリズ建築内特別室として再生されています。アンティークな雰囲気を楽しみながら、贅沢な時間を過ごすことができますね。
旧八幡郵便局
大正10年に建てられた建物は、郵便局としての役目を終えた後、空き家として放置された期間を経て、現在はNPO法人により保存されています。
近江八幡では、ここに紹介した以外にも多数のヴォーリズ建築を見ることができます。明治村
愛知県犬山市にある博物館「明治村」には行かれたことがあるでしょうか。
20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライト(1867-1959)によって設計された、旧帝国ホテルの中央玄関部は特に有名です。首都の迎賓施設にふさわい華やかさとライト独自の設計思想が隅々まで行き渡り、全体の設計から各客室に至るまで、多様で他に類を見ない空間が実現していました。床の高さや天井の高さに変化をつけながら、水平に、垂直に展開していく空間演出や、各種の部材に施された多彩な造形美など、見どころは尽きません。
伝統的な木造建築、欧米の様式・技術を取り入れた価値ある文化財が保存されている、明治村。フロンヴィルホームズ名古屋の家を建てたオーナー様の中にも、お好きな方が多いこの明治村。明治村の建物が好きで、「同じような雰囲気の家を」とお考えになったのをきっかけにして当社を知り、実際に同様のスタイルの家を本格的に建てられる会社として、ご依頼をいただいたオーナー様は何人もいらっしゃいます。
明治になり、「外国との不平等条約の改正のためには、日本が物心ともに欧化する必要がある」と考えた井上馨外務卿らは、上流階級の風俗・習慣が欧風化されなければならないとして、立派な洋館が必要だと考えました。その時に招聘されたのが、政府関連の建物の設計を手掛けることになるイギリスの建築家、ジョサイア・コンドルです。「鹿鳴館」を設計したのもこのジョサイア・コンドルでした。ルネッサンス風の2階建て、バルコニー付の建物で、明治16年(1883年)に建てられた鹿鳴館でしたが、華やかな時代は長く続かず、その目的を果たすことができないまま、表舞台から姿を消したのでした。時は流れ、閉鎖されたままであった鹿鳴館は民間会社の手にわたり、昭和15年(1940年)解体されることになります。華やかな外交の舞台であったこの鹿鳴館の解体を目の当たりにし、当時、無念さを感じたのが建築家の谷口吉郎(東京工業大学元教授)でした。そして、東宮御所や帝国劇場の設計者であるこの谷口氏と同窓生だったのが、名古屋鉄道元社長の土川元夫氏です。
西洋人が設計して、緻密な作業を得意とする日本の職人が作った、明治時代の貴重な木造建築を、「何とか保存できないものだろうか」と谷口氏から土川氏に持ちかけたのが、博物館明治村のはじまりだったのです。
明治村では、三重県庁舎 彩の間で鹿鳴館の雰囲気を味わうことができます。
明治村の公式サイトはこちら