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2023.12.20

小出兼久コラム

煉瓦物語/英国でも日本でも、良い土の産地で煉瓦やタイル産業が発達。

煉瓦物語/英国でも日本でも、良い土の産地で煉瓦やタイル産業が発達。

煉瓦というのはつまるところ、土です。
有田焼や瀬戸焼、備前焼など焼き物がそうであるように、イタリアのトスカーナでテラコッタが発展したように、世界のどこであっても良い土がとれるところでは、それを使った産業が発展しました。英国でも日本でも、良い土の産地で煉瓦やタイル産業が発達しています。

煉瓦の歴史は人が動いた歴史でもある。

目次
焼かない煉瓦
アドべと呼ばれる日干し煉瓦の製造
英国のコブと呼ばれる建材

私のような外の景観をつくる専門家や建築家といった一部の人々を除けば、日本人にはあまりなじみのない煉瓦ですが、実は他の焼き物と同じように日本でも発展していた、そのことは自分にとって大変驚きでありました。それについてはまた別の機会に述べようと思っています。

焼かない煉瓦

ところで、私たちが普通思い浮かべる煉瓦というのは、高温の窯で焼いたものですが、このような煉瓦が広く広まり出したのは近代に入ってからで、1700年代後半から1800年代前半に始まった産業革命後の後だそうです。この後に「窯」で焼かれた煉瓦が広く普及してきました。となると、逆算してみても焼き煉瓦には、たかだか300年ほどの歴史しかありません。300年という時間は徳川幕府が続いた時間でもありますので、長いといえば長いです。
しかし、2000年という歴史の中でみれば、2000年のうちの300年が焼き煉瓦の時代ということになり、つまりは、焼いていない煉瓦を使っていた時代の方が圧倒的に長いと言うことになります。しかもこの焼いていない煉瓦というのは、今でも世界で使われているのですから、、、いかに便利で優れものなのかと焼いていない煉瓦にも大変興味がわいてきます。呼び方ひとつとってみても、焼いていない煉瓦には世界各地でいろいろな呼び方があり、これがとても興味深いです。なぜかと言うと、この土の文化が古代世界のあちこちに存在していて、どうやって世界に伝えられたのか、想いを馳せることができるからです。

アドべと呼ばれる日干し煉瓦の製造


スペイン語のアドベ(英語でアドビ)は、土と砂とわらを混ぜて作った天然建材を指しますが、もともとは紀元前2000年ごろのエジプト語である”dj-b-t”が、「泥レンガ(日干し煉瓦)」を意味しており、最終的には”dj-b-t”は「トベ(tobe):煉瓦の意味」と変化し、古代スペイン語に入る際にアドベ(Adobe)となりましたが、今では、アドベと言えば北米のプエブロなど特にニューメキシコ州に伝統的な煉瓦の製作法を指しています。これは、スペイン人が16世紀にメキシコやペルーを探検した際に伝えられたと言われ、その後、北米へ伝わってきましたが、プエブロの膨大な建築のように先住民の建物で多くが見られます。アドべは現代では、そのニューメキシコスタイルを模倣した建築の呼称となりましたが、数百年米国で実践されてきました。
実は、泥煉瓦あるいは日干し煉瓦で造られた建物は、世界中で発見されています。中東では、干上がった川床の泥から、一万年前の煉瓦建造物の証拠が見つかりました。また、かつてメソポタミアの地(現在のイラク)に存在した古代都市 ウルクでは、紀元前4000年頃にすでに日干し煉瓦で建物が建てられていたそうです。一方、エジプトでは約3800年前のものと思われる粘土煉瓦の建造物が発見されています。そうした中東の煉瓦建造物のなかでも、イランの都市、バム近郊にあるアルゲ・バム(バムの城砦)は、アドベの技術で構築された砂と粘土でできた要塞都市で、世界遺産にも登録されている20万㎡以上の日干し煉瓦群があります。
このように、古代の中東には多くの煉瓦建造物の遺跡が残されているため、日干し煉瓦の技術は、中東から始まったと信じられているところもあります。中東から北アフリカに持ち込まれ、西はスペインに、南はサハラ以南のアフリカに広がり続けました。また、インド洋での商取引を支配したアラブの商人とともに、東に、アジアに移動しました。万里の長城にも煉瓦は使われており、また、泥煉瓦で建てられたローマ時代の遺跡の残骸は、今日でも残っています。また、 イエメンのシバームには、 高さ11階建ての西暦3世紀に建てられた世界最古の高層住宅があります。

英国のコブと呼ばれる建材

一方で、英国にもコブ(cob)と呼ばれる土と砂とわらと水を混ぜてつくる建材が、やはり同じように古くから存在しています。コブは、煉瓦として切り出すよりも一体型の土の壁で、この方が乾燥するとより強く堅牢になり、耐久性のある柱や壁ができます。この土壁は、小舞壁として広く普及しました。そしてコブは、イギリス人の入植とともにアメリカ大陸へと渡り、米国にその技術が伝わりました。
土の壁や泥煉瓦の技術はそもそもが中東から伝わったのか、世界で自然発生的に多発したのか、私には分かりません。米国の例をみても、一方はスペインやメキシコ、ペルーを経てアドベという日干し煉瓦の製造法が持ち込まれ、ニューメキシコ州のような内陸で発展し、他方、イギリスからの入植者はコブという土壁を伝えています。煉瓦の技術ひとつをとっても、ある場所の技術が人々が世界を歩き回ることで普及していくことが分かります。また、土と砂とわらと水があれば、、、考えることは人間どこでも同じなのでしょうか。煉瓦ひとつから古代の世界が見える、そこも煉瓦の魅力であるのでしょう。

著者情報

小出兼久

特定非営利活動法人日本ゼリスケープデザイン研究協会(JXDA)代表理事。ランドスケープアーキテクト(ASLA)。1990年代よりランドスケープにおける水保全の研究を始め、2003年の第3回世界水フォーラム京都会議では分科会「庭から水、世界を考える」を主催し、成果の発表と日本で初めてランドスケープにおける水保全の必要性を提唱した。2005年第10回ゼリスケープ会議(米国ニューメキシコ州)および低影響開発国際会議シアトル・アジア地域(米国ワシントン州)に日本から初めて出席。2010年には生物多様性国際条約フェア(COP10国際会議と併催)に出席し、以来、低影響開発の普及を目指して活動を続けている。ランドスケープアーキテクトとして雨の庭を実践した作品群は日本や海外で生物学的な受賞歴を持っている。

建物と庭のトータルデザインを手掛ける点でフロンヴィルホームズ名古屋とは考えがマッチし、特に煉瓦の家に関するプロジェクトに興味を持っていただき、コラムの連載が実現しました。