お客様から「子どもが独立して部屋がたくさん余っている」とお話をいただくことが多くなってきました。 そこで私たちは、“小さくてもセカンドライフを豊かにするための家”について考えました。 お子様が独立しご夫妻だけになった暮らしは、より上質で本物にこだわった暮らしが良いのではないか。そんな時に一人のスタッフが開発チームに持ち寄った1枚の写真。そこは白いレンガ積みの家が写っていました。
大きくはないけれど存在感があり、歴史深いレンガの普遍的なデザイン。そして白レンガならではの魅力的な質感。
本物を知った方が本当に住みたくなる。特別な日常をご夫婦で。
レンガが建築の材料として使用され始めたのはメソポタミア文明の時代から。当時のレンガは、粘土やワラや小石などを混ぜ合わせて型抜きをしたものを天日干しで乾燥させるものでした。その後世界各国に広がり、日本に本格的に赤レンガが導入されたのは、幕末期の軍事工場が始まりと言われています。
「後世にも残せる建物は本物でなければならない」と、明治中旬頃にはレンガ職人が増えました。大正期にかけては、東京駅や、富岡製糸場、横浜赤レンガ倉庫、愛知県では半田市にある赤レンガ建物、名古屋市市政資料館など、近代日本建築史を代表とするレンガ建築が続々と誕生しました。
1914年に竣工された東京駅丸の内口駅舎。使用されたレンガは、渋沢栄一が設立した日本で最初の機械式レンガ工場「日本煉瓦製造」が製造したもの。1923年の東京大震災では大きな被害はなかったのですが、1945年の東京大空襲では、レンガ造の壁などの構造体を残して、屋根や内装の大半が焼け落ちてしまいました。2007年復原工事がスタートし、2012年に完成。2003年には国の重要文化財に指定されています。
1898年にカブトビールの製造工場として建築されたレンガ積み建物。設計者は、明治建築界の三巨匠の一人、妻木頼黄(つまきよりなか)。横浜赤レンガ倉庫や日本橋の装飾も設計しました。ビールの製造には安定した温度と湿度が必要だったので、頑丈な構造のレンガ積み建物を設計。2004年に国の登録有形文化財として登録、2009年には近代化産業遺産に指定されています。
1922年に誕生。建築当時は「名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎」として使われており、国内に現存するレンガ建造物としては貴重な建物です。ネオバロック方式の洋風三階建てで、大階段とステンドグラスが印象的な中央階段室が魅力です。圧倒的な存在感を放っており、建物は重要文化財にも指定。 名古屋市が設定する「文化のみち」の起点に位置付けられています。
換気システム「レンガのそらどま」が
特許登録されました
エアコンに頼りすぎない、ここだけの
快適な空間をご体感ください。
「レンガのそらどま」は、レンガ積みだからこそ可能な「外壁二重構造」を生かし、屋根裏と床下の空気の温度差を使って、空気を自在に循環させて室温を調整する次世代の環境配慮型空調システムです。夏は、真昼の外の暑さをレンガが断熱し、どまの冷たい空気を室内に循環。夜はそらの恵みで涼しくなった空気がどまを通じて室内に。
冬は、昼間のそらの恵みで温まった空気が室内を温めます。さらにレンガが温かい空気を外に逃さずとどめ、夜にはどまから室内に戻します。 外気の取り込みには密度0.08μmマイクロフィルターを採用(オプション)。PM2.5やウィルスよりも小さなフィルタを通して、空気を家中に届けます。エアコンの力で強制的に冷やしたり温めることなく、きれいで快適な空気を家中に循環させます。
鉄筋レンガ積みとツーバイフォー工法の二重構造になっており、実物代の試験棟を使った実験では、阪神大震災の1.5倍の揺れにも4回以上耐えました。30年、50年と、安心して住み続けていただけます。
3重ガラスの窓、吹きつけ断熱材により、UA値0.46を実現!更に外側にレンガの鎧をまとうことで、エアコンに頼らない生活をご提案します。
レンガの耐熱性は非常に高く、70ミリの厚さのレンガ壁の外側を700度に熱しても、内側の室温は20度以下と驚異的。吹き付け断熱材やトリプルガラス樹脂サッシとの組み合わせで、暑い日も寒い日も、快適な室内を守ります。
半永久的にその姿をとどめるレンガは、頑丈で、朽ちることなく、その原料は石や土など自然由来のものだけ。古くから変わらないレンガの価値が、いま見直されています。
レンガの外側は、通常のサイディングで必要になる足場を立てての塗り替えが不要になるため、維持費が安くなります。