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小出兼久の煉瓦物語【 第13回 日本と煉瓦(2)】

小出兼久の煉瓦物語     

第13回 日本と煉瓦(2)

建材としての煉瓦と今も残る建物

SBrick(洲本市)

日本と煉瓦のかかわりは幕末から明治にかけてのころで、初めて煉瓦の導入や生産が行われたことを知りました。煉瓦を通してですが、調べるほどに、そのころの日本の「新しく国を造るのだ」、という気概や熱量を感じています。富国強兵や殖産興業、教科書で学んだ記憶はあってもどこか身近なものには思えなかった歴史が、古き煉瓦建物を通してみると興味深いものへと転じるのは、いささか現金だとも思ったりします。

世界では、日干し煉瓦から焼成煉瓦へ、さらには、耐火煉瓦が生み出され導入されたという歴史が一般的ですが、日本における煉瓦の歴史では、順番が逆でした。軍備の増強=反射炉を早く造りたいという需要から、一般の建物に使う建材としての煉瓦よりも耐火煉瓦が先に導入されました。このことは、建材の煉瓦も耐火煉瓦もすでに西洋には存在していたことから可能になったわけです。

前回は反射炉と耐火煉瓦について書いたので、今回は、建材としての煉瓦はいつ日本に入ってきたのか調べてみました。すると、これも薩摩藩が最初に輸入をしていました。

日本で最初の洋式の紡績工場は鹿児島に建てられました。時は1867年5月、11月に大政奉還が行われ時代が明治へ移ることを考えれば、まさにその直前の出来事です。しかも5月は竣工であって、当然それ以前から、薩摩は動いていました。建材としての煉瓦は、大砲のための反射炉から数年~10年ほど遅れはしてますが、あのころは技師を西洋から呼べず(鎖国)、物も輸入できなかったのが、紡績工場を造ろうとしたこの時期は、薩摩最後の藩主となる島津忠義が英国から紡績機を輸入し、その操作方法も分かりませんから英国から技師を招き、また工場を造る煉瓦も輸入しました(もちろん他にも必要な機器を輸入しています)。1850年代に反射炉を造ろうとしたときには、技術者も招けず、オランダの技術書を使い、耐火煉瓦もなんとか国産で造っていたものを、それからわずか10年足らずのあいだに、輸入ができるようになり、技術者を招聘できるようになった、ここに幕府の急激な衰退が垣間見えました。

紡績工場は殖産興業として、他の産業同様、日本各地に造られました。明治になり、日本は近代化へ向けて舵をきり、列強に追いつけ追い越せというのは軍備だけの問題ではなく、政治体制から身分制、都市計画、殖産興業、あらゆる分野での革新とアップデートを始めます。これを機に多くの場面で煉瓦が用いられたようです。煉瓦街などの街づくりから「器」としての建物である工場や駅舎、倉庫、企業ビルなどなど、関東震災後に鉄筋コンクリートに取って代わられるまで、多くの新しい政府肝いりの施設は煉瓦造りでした。現在では、そうした煉瓦建物の多くはなくなってしまいましたが、各地に多少残っています。下に、機会を見つけて訪れたいあるいは、訪れた場所を記します。

鍋屋上野浄水場旧第一ポンプ所(名古屋市千種区)

鍋屋上野浄水場旧第一ポンプ所は、イギリス式の煉瓦積みのたてもので大正3年に名古屋市水道局が創始した時の建物で今は使われていません。千種には窯業や織物などの工場と陸軍の兵器支廠、工廠が置かれていましたが、遺構はあまり残されていません。が、千種区では煉瓦でできたマンホールが残されていて、大正時代の当時でも職人が手作業で煉瓦を積んで造った大変貴重な物です。交通を止めないと造れないことから、国内でもわずかな時期のみ使われたそうです。現在は名古屋市上下水道局水の歴史資料館で展示されています。

旧カブトビール工場(半田赤レンガ建物)

愛知県半田市には、旧カブトビールの工場という煉瓦建物があります。1898年に建てられたこの製造工場は、横浜新埠頭倉庫(現・赤煉瓦倉庫)や旧横浜正金銀行本店(現・神奈川県立歴史博物館)を設計した明治の巨匠のひとり妻木頼黄の手によるもので、明治の煉瓦建物としては国内でも有数の規模を誇ります。煉瓦の構造はアーチづくりや複壁を持ち、建物内部の温度や湿度の変化幅を少なくさせるため、実は、ビールの醸造にも適しているわけです。カブトビールというのは戦前のビールで、1943年に整備令で閉鎖されるまで人気のあったビールです。時たま半田に行く私は名前だけは知っていましたが、訪れたことはありませんでした。現在はここで、復刻させたカブトビールが飲めます。ビアガーデン&カフェの他、建物の歴史を知ることのできる資料室、ワークショップ・イベントなどが開かれています。

旧鐘紡本社工場(S BRICK 淡路島・洲本市)

淡路島には、明治時代に建設された旧鐘紡洲本工場があります。その煉瓦建築群は、淡路島唯一の煉瓦建物であり、経済産業省の近代化遺産にもなっています。今年4月にオープンしたS BRICK(エスブリック)は、原綿の倉庫を改装したもので、紡績工場としてまちの発展を支えたのち、美術館として文化を発信したが、その後改装されエスブリックとなりました。他に、洲本市立図書館、洲本アルチザンスクエアなどの施設があり、いずれも旧鐘紡本社工場の建物を利用し改装したもので、敷地(跡地)全体は洲本市民広場という洲本市の新都心にある都市公園になっています。

小出兼久 ランドスケープアーキテクト,ASLA, 岡山県立大学非常勤講師

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山の中にある研究室