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小出兼久の煉瓦物語 【第12回 日本と煉瓦(1)】

小出兼久の煉瓦物語 

第12回 日本と煉瓦 (1)

耐火煉瓦と反射炉

反射炉 Wikipediaより

日本に煉瓦が入ってきたのはいつ頃なのかと調べてみたら、幕末から明治の時期でした。その背景にあったのは当時の事情です。ペリーの黒船来航は1853年で、その後大政奉還が1867年、翌1868年に元号が明治に改元され明治政府が誕生しました。ちなみに幕末とはこの1853年から明治政府誕生までの期間を言うのだそうですが、西欧のアジアへの進出はそれより早くから始まっていて、1835年の東インド艦隊の編成(中国と日本へ特使を派遣するためのものであったが特使は清で逝去)、1840年のアヘン戦争、1844年のオランダ国王親書による開国の要請、1846年のアメリカ東インド艦隊の浦賀寄港など、日本への開国圧力は次第に大きくなっていました。また、西国の雄、薩摩藩のように抜け荷を通じて、西欧列強の事情を早くから掴んでいた藩もあります。他の国のことを知れば知るほど、焦りが生じます。攻め入られてしまえば1840年のアヘン戦争で負けた清国のようになってしまうかもしれない、それを防ぐためには軍備を増強する必要がありました。

ここで、「反射炉」という炉が各地で造られるようになりました。それは、開国を迫る西欧と戦うにしても、自分たちの軍備がかなり遅れていたことに気がついたためです。特に大砲、これが衝撃的ですが、当時の日本の鋳造技術では大砲は青銅製で、鉄製の洋式大砲を造ることができませんでした。このため、大砲や鉄砲、軍船などをつくるために、製鉄をする「反射炉」が必要になりました。しかし、時は鎖国中であり、外国の技術者を招聘することができません。そこでオランダの技術書を参考に、国内での反射炉づくりがの模索が続きます。

日本で最初に反射炉を造ったのは佐賀藩でした。1850年のことです。一方、島津藩では1851年に反射炉の建造を決定し、1853年に完成しました(1854年に改良)。そして、幕府領・伊豆の韮山では佐賀の成果をもとに、1857年に韮山反射炉ができました。反射炉はこの時期、水戸藩や荻藩、島原藩などでもつくられています。

ホフマン式反射炉

反射炉に私が注目をしたのは、反射炉には耐火煉瓦が欠かせないからです。耐火煉瓦あるいは耐火物は、耐火性が必要な設備の内部に使われます。18世紀から19世紀にかけて製鉄に使われていた反射炉という炉では、耐火煉瓦が炉のアーチ型になった天井部分に使われています。反射炉というのは金属を溶かして不純物を取り除き、製錬するための設備のことですが、アーチ型の炉の天井に熱が蓄積して輻射するために、この名で呼ばれています。18世紀から19世紀の時代に主に製鉄に行われていました。しかし、反射炉の熱効率自体は悪く、湿気対策が不十分だと炉の内部の温度が上がりません。現代は、反射炉は鉄以外の金属の製錬に使われています。とはいえ、反射炉は当時の、それまでの鉄の製錬方法に取って代わったもので、当時としては画期的なものでした。

一般に、煉瓦の歴史を見た場合、日干し煉瓦から焼成煉瓦への移行があり、それから耐火煉瓦というものが生まれてきます。ところが興味深いことに、日本で煉瓦が用いられたのは上の理由から耐火煉瓦の方が先なのです。大砲の製造のためですね。島津藩主島津斉彬は、反射炉を造るために耐火煉瓦の製造を陶工に指示しています。それには陶工が使われました。しかし、それまで造ったことがありません。技術書を首っ引きにしての奮闘だったようです(島津にはこれで有名な陶工がいます)。1853年にできた炉では耐火煉瓦の性質が悪く、炉の温度が上がらずに製鉄に失敗をしています。しかしその後、薩摩藩は、天草の陶石を用いて、1856年に質の良い耐火煉瓦の製造に成功しました。これは1857年の2号炉の完成と、その後の日本で初めての溶鉱炉の建設につながりました。

溶鉱炉とはあの、背の高い煙突が伸びたような炉です。言うまでもなくこれは、日本の経済を支える製鉄業、造船業などと切り離せないものですが、もちろんここにも耐火煉瓦が使われています(こちらの方が主流です)。日本の耐火煉瓦の歴史は、こんなところから始まっているということに、とても興味を惹かれています。

溶鉱炉 Wikipediaより

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小出兼久 ランドスケープアーキテクト,ASLA, 岡山県立大学非常勤講師

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