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2024.01.01

小出兼久コラム

煉瓦物語/英国の煉瓦建物事情、16世紀からの歴史に迫る。


テンプルトンカーペット工場(グラスゴーグリーン)

英国の煉瓦建物 vol.2

目次
16世紀頃
17世紀
18世紀頃
19世紀頃
現代

英国の煉瓦建物と題したものの、前回は英国の建物についてあまり触れられませんでした。ローマ時代から中世初期までの話でしたので、今回はその続きをしてみたいと思います。英国において、ローマ人が5世紀に去った後は、自分たちの煉瓦を造るようになっていくのですが、最初はローマ煉瓦の影響で比較的薄いものであったのが、時が経つにつれて変わっていったようです。
以下に中世も終わりに近づく16世紀から近現代である19世紀ごろの英国建物の移り変わりについて述べています。

16世紀頃

16世紀にも多くの煉瓦建物が建てられました。この時期の特徴はいろいろな積み方がでてきたことです。また技術応用の面で大きな標準化がありました。それまではイギリス積みやイギリスクロスでしたが、不規則な積み方もありました。しかし、それ以外の積み方がこの時期に出てきています。煉瓦そのものはまだまだ形状やサイズが不均一なものの、装飾はハンプトンコート宮殿に代表されるような、優れたデザイン性と高い品質の煉瓦によって施されている例があります。この時代もそれまでと同じように、煉瓦は階級の高い建物に使われていました。例えば宮殿や大聖堂などです。

上の写真はハンプトンコート宮殿です。そこにも見られるような、17世紀までの英国の煉瓦造りに見られる装飾的な特徴は、ダイアパーパターン(diaper patterns)の使用です。

ダイアパー(diaper)を調べると、ギリシャ語で直径を示すdiaと白を示すasprosという言葉に語源をもつ単語のようです。ダイアパーパターンというのは、ダイアパーをパターン化するということですが、代表的なものは白のひし形や十字をモチーフとして(他にもありますが)、1つ以上を等間隔で繰り返すものです。で、このダイアパーパターンを作るには二色以上の煉瓦が必要になるわけで、そのために、長時間焼成(過熱)させて灰色から青味を帯びた暗色になったフレアヘッダーと呼ばれる(ガラス化していることもある)煉瓦を組み合わせています。

17世紀

17世紀になると煉瓦の利用が大きく拡大しました。そのきっかけは1666年のロンドン大火で、その後の都市の復興のための煉瓦需要が大きく、結果、17世紀の終わりまでにさまざまな階級の建物で煉瓦が利用されるようになりました。

18世紀頃

そして18世紀、さらに煉瓦の需要が高まります。品質と技術が向上し、煉瓦は産業労働者住宅にも使われるようになり、都市部だけでなく農村でも使われるようになりました。興味深いのは繊維工場の一部や全体が煉瓦で建てられるようになったことで、これは、のちの明治維新後、日本の繊維工場の建物に煉瓦が使われることにもつながったのではないかと思っています。

19世紀頃

19世紀になるとさらに興味深いことが起こります。すなわち、19世紀半ばの鉄道の成長です。英国国内の鉄道網が整備されるにつれて、橋、トンネル、鉄道に関連する駅舎や補助的な構造物を建設する需要が高まります。このことが、煉瓦の需要を大きく押し上げました。また、背の高い煙突、灯台、それから各種の工場、産業構造施設、多くの構造物が煉瓦で造られるようになり、産業労働者のための住宅も、イングランドやウエールズだけでなく英国全土で膨大な数の建設需要が生じ、それに煉瓦が使われています。
これらが可能になった背景には、煉瓦を同一規格で大量生産できるようになったことがあります。19世紀半ばに、英国の煉瓦の製造の方法に大きな変化が見られました。窯技術の進歩はもちろん、煉瓦を画一的かつ簡単に作れるようなプロセスの導入によって、大量生産が可能になり、しかも、さまざまな特殊形状や色の煉瓦の生産が可能になりました。多くの装飾煉瓦が生み出され、面白いことにそれらは、最も実用的な建物に使われています。
煉瓦建物は中世までの階級の高い建物のみに使われていた時代から、19世紀には広く一般に普及しました。装飾的なデザインが19世紀の終わりには工場にも見られるようになりました。有名なものに、1892年に建てられたグラスゴーのテンプルトンカーペット工場があります。スコットランドを代表する建築家ウィリアム・ライパーによって設計された印象的なファサードのデザインはイタリア・ベネチアのドゥカーレ宮殿や1888年にあったグラスゴーの国際展示会からインスピレーションを得ていると言います。艶煉瓦、ガラス質のエナメルタイル、赤煉瓦といった色や質感の異なる多くの煉瓦を組み合わせてできている外観は、英国煉瓦史にあってひとつの最骨頂を示すものに至っています。

現代

ここから現代は、煉瓦の衰退といっていい時代に入っているのでしょうか?
その答えは一概には言えません。衰退は、少なくとも一時代を築き上げた装飾的デザインや装飾技術においてという意味であり(過去のある技術やその賜物である装飾煉瓦が今の時点で再現できるか否かと言う意味での衰退)、昨今の煉瓦は、気候変動対策(熱対策)や浸透性、断熱性など機能的な優位性に関心が集まっています。装飾性がまったく衰退してしまったというのは過言であり、いつの時代も需要や関心がその時代の革新や流行、進歩、新しい物を生み出してきたことを鑑みれば、これからの煉瓦と煉瓦建物はどのように変わっていくのか、英国の例のみを取ってみても、興味は尽きることがありません。

著者情報

小出兼久

特定非営利活動法人日本ゼリスケープデザイン研究協会(JXDA)代表理事。ランドスケープアーキテクト(ASLA)。1990年代よりランドスケープにおける水保全の研究を始め、2003年の第3回世界水フォーラム京都会議では分科会「庭から水、世界を考える」を主催し、成果の発表と日本で初めてランドスケープにおける水保全の必要性を提唱した。2005年第10回ゼリスケープ会議(米国ニューメキシコ州)および低影響開発国際会議シアトル・アジア地域(米国ワシントン州)に日本から初めて出席。2010年には生物多様性国際条約フェア(COP10国際会議と併催)に出席し、以来、低影響開発の普及を目指して活動を続けている。ランドスケープアーキテクトとして雨の庭を実践した作品群は日本や海外で生物学的な受賞歴を持っている。

建物と庭のトータルデザインを手掛ける点でフロンヴィルホームズ名古屋とは考えがマッチし、特に煉瓦の家に関するプロジェクトに興味を持っていただき、コラムの連載が実現しました。
また、当社のフロントガーデンの一角に、日本初・名古屋初の「雨の庭」のモデルガーデンを施工していただきました。