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CONCEPT

Historic monuments
歴史的建造物

古代ローマ(古代ギリシャ)から始まった
歴史的建造物が
現代に受け継がれて進化していく!

建築の発祥の地とされる古代ローマ(古代ギリシャ)
その歴史的建造物の流れは、15世紀から17世紀にかけての大航海時代を通して、
ある者はアフリカからインド、そして香港から日本へ渡り、
また別の者はアメリカ新大陸(西海岸)経由で日本へと文化を波及させていったのである。
歴史的建造物の文化は当時の人を通して、
時代の中で変化をしながらも最果ての地である日本に到来してきたのである。

HISTORY 1

パルテノン神殿

古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。この神殿は古代ギリシアそして民主政アテナイの象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に認定されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 2

コロッセウム

コロッセウム(ラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場(ラテン語: Amphitheatrum Flavium)。現在ではイタリアの首都ローマを代表する観光地である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 3

サン・ピエトロ大聖堂

サン・ピエトロ大聖堂(サンピエトロだいせいどう、イタリア語:Basilica di San Pietro in Vaticano)は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山。サン・ピエトロは「聖ペトロ」の意で、キリスト教の使徒ペトロ(ペテロ)のイタリア語読みに由来する。サン・ピエトロ大寺院、聖ペテロ大聖堂などと表記されることもある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 4

タージ・マハル

インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟[1]。インド・イスラーム文化の代表的建築である。1632年着工、1653年竣工とされる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 5

ホワイトハウス

アメリカ合衆国大統領が居住し、執務を行う官邸・公邸の建物。
大統領府であるホワイトハウス建設が開始されたのは初代大統領のジョージ・ワシントンのときで、1792年に着工した。 建物は16世紀のイタリアの建築家アンドレーア・パッラーディオのパッラーディオ様式を取り入れている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 6

大浦天主堂

大浦天主堂(おおうら てんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂である。江戸時代幕末の開国後、1865年(元治2年)に建立された。日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。正式名は日本二十六聖殉教者天主堂。1862年、フランスのパリ外国宣教会宣教師で日本教区長のジラール神父の命により、横浜にいたフランス人司祭(神父)フューレが長崎に赴任。司祭館と教会堂の建築準備に着手。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 7

札幌市時計台

札幌市時計台(さっぽろしとけいだい)は、北海道札幌市中央区北1条西2丁目にある歴史的建造物である。重要文化財(1970年6月17日指定)。正式名称を「旧札幌農学校演武場」(きゅう-さっぽろのうがっこう-えんぶじょう)と称する。現在の通称は「札幌時計台」、もしくは単に「時計台」と呼ばれ、たくさんの観光人が訪れる名所になった。計画者は札幌農学校の2代目教頭であったウィリアム・ホイーラーであり、北辺警備に備えた訓練を目的として[1]、安達喜幸をはじめとする北海道開拓使工業局による設計・監督の下建造された、バルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔屋を除く)である。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

HISTORY 8

博物館明治村

明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代で、飛鳥・奈良と並んで、我が国の文化史上極めて重要な位置を占めている。明治建築も従って江戸時代から継承した優れた木造建築の伝統と蓄積の上に、新たに欧米の様式・技術・材料を取り入れ、石造・煉瓦造の洋風建築を導入し、産業革命の進行に伴って鉄・セメント・ガラスを用いる近代建築の素地を築いた。これらの建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものも、震災・戦災などで多く失われ、ことに戦後の産業の高度成長によって生じた、大小の公私開発事業により、少なからず姿を消していった。取り壊されてゆくこれらの文化財を惜しんで、その保存を計るため、今は二人とも故人となられたが旧制第四高等学校同窓生であった谷口吉郎博士(博物館明治村初代館長)と土川元夫氏(元名古屋鉄道株式会社会長)とが共に語り合い、二人の協力のもとに明治村が創設されたのである。

※出典 博物館明治村のホームページより抜粋

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